目白大学卒業生対談 2008年度卒 社会情報学科 高橋啓一さんと人間福祉学科 平賀祐芽さん 横關昌弘さん 前半

今回は卒業生対談ということで、同級生同士の社会情報学科の高橋啓一さんと人間福祉学科の平賀祐芽さん、横關昌弘さんの対談をお届けいたします。今回は、以前横關さんと対談を行った平賀祐芽さんからご友人の高橋さんをご紹介頂き、高橋さんは平賀さん宅でインタビューを受けて下さっています。以前行った平賀さんと横關さんの対談の様子は下記からご覧下さい。

交流が生まれた同級生同士の対談

高橋さんの目白大学入学のきっかけ

高橋啓一さんと横關昌弘さんご本人とお名前だけ登場して頂く平賀祐芽さん

横關昌弘さん(以下横關さん):今日はよろしくお願いいたします。早速なのですが、大学を選ぶにあたって、目白大学を選んだきっかけを教えて頂ければなと思います。

高橋啓一さん(以下高橋さん):実は私は1年浪人というか大学受験がうまくいかなくて、働くという選択肢もあったんですね。父親から大学は行っておけと言われたので、親不孝なのですが、浪人という1年間、無の時間がありました。全然勉強もしてなくて、やりたいことが見つからなくて。

ここで少し以前、ご登場頂いた加藤数馬さんのお話を出されて、「数馬と比較すると…」と高橋さんは仰っていますが、加藤さんも高橋さんも素敵なお話をお聞かせ下さったので、引き続きご覧下さい。加藤さんのご登場の回は記事の一番下をご覧下さい。

高橋さん:大学受験のときは目白大学が受かったので入ったという形なのですが、他の大学の夜間も受かっていました。昼間働いて夜間の大学に行くか、昼間の目白大学に行くかという選択肢があったのですが、親とも相談して普通の生活をしなさいということで、受かっていた目白大学に行くことにしました。入ったのが社会情報学科です。本当にやりたいことが無かったので、社会情報学科はある意味広く勉強や何をやりたいか探すために社会情報学科に入った感じですね。地理、政治経済、経営にも興味があったし、幅広く出来るなというのがきっかけですね。

横關さん:浪人生のときは、予備校とか行ってたんですか?

高橋さん:行ってましたが、あまり行っていませんでした(笑)

横關さん:ありがとうございます。自分探しのために大学入ったとお聞きしたんですが、いざ、入ってみて、関心が出て来たことってありました?

高橋さん:大学のときは周りの人間に恵まれました。うちの大学ってクラスがあったじゃないですか?他の大学だとあまり聞かないなと。社会情報学科のB組になって、周りの友達に恵まれました。隣のクラスから羨ましがられるぐらい思い出がたくさんありますね。夏は海に行く、冬はスノボーで、旅行に行くという感じでした。15人とか20人とかで遊びに行ってました。

クラスも印象に残ってますけど、祐芽(平賀さん)がメインでやっていたICCというサークルのメンバーとも仲が良く、印象に残っています。そこでの活動は思い出に残っていて、普段出来ない留学生との交流があったので、自分の中では財産になっています。今は繋がりはないですが、あのとき経験した英語もろくに喋れないのに、こちらが日本語を教えるということがありました。トルコ人、タイ、フィリピンの留学生もいて、交流したことは印象に残っています。祐芽が企画してくれていろいろやってくれたんですよ。

横關さん:ICCの部長だったみたいですものね。

高橋さん:みんなで浴衣着て、留学生に日本の文化を体験してもらうお手伝いをしていました授業外の活動が印象に特に残っています。

平賀祐芽さん(以下平賀さん):家庭料理を食べてみたいということで、留学生7・8人と高橋君やほかの日本人メンバーがうちの実家に来て、うちの母親が天ぷらをめちゃくちゃ揚げました(笑)

高橋さん:あったね!

横關さん:そういう交流って自分は日本で育って日本の文化って分かりますけど、留学したいとかは無かったんですか?

高橋さん:そうですね。数馬みたいにはならなかったですけど(笑) 留学自体は興味はありましたが、それなりにお金もかかるし、その日その日の生活が楽し過ぎて、あまり行きたいとは思わなかったですね。今はここにいたいと休みの日でも学校に行ってましたね。

横關さん:部長さんのサポートをなさっていたんですね(笑)

高橋さん:(平賀さんの方を向かれて)首をかしげてます(笑)

平賀さん:ははは(笑)

横關さん:学生生活はエンジョイという形で、サークルやクラスのメンバーとも仲良く出来たのは凄いなあと思います。あいうえお順で決められた中で、仲良くなれたのは巡り合わせがあったんだって思いますよね。

高橋さん:今でも当時のメンバーとは定期的に会いますしね。

高橋さんのゼミでの活動と就職活動

横關さん:素敵な学生生活を送られていく中でゼミでの勉強ってどのようにことをなさってましたか?

高橋さん:私が入っていたのは都市環境デザイン的なゼミだったんですが、主に都市の構造だったり、建物の建築だったり、都市や建物ってこんな感じで作られていくんだよということを勉強するゼミでした。でもゼミの先生が割と自由な感じで、ここでも仲間に恵まれた感じでした。3年生のときに沖縄の首里城を見に行ったりとか、残っている遺跡に行ったりしました。4年生のときは、韓国に行きました。

横關さん:それは建物を見にということですか?

高橋さん:という名目でということで(笑) 私は卒論自体は東京の地下ってどうなっているんだというところ、実は昔の防空壕が今の地下鉄になっているもとになっている部分があったりということを論文について書きました。遠い昔過ぎて記憶が…

横關さん:そうですよね。皆さんにお聞きすると、だいぶ昔のことをお聞きするので。
今、地下鉄に関することをお話し頂いて次にお聞きしたいのですが、卒業したあと、就職というところで、小田急電鉄にお勤めだということはお聞きしたんですが、すぐにこちらに就職されたんですか?

高橋さん:就活から話し始めると、浪人もして大学時代も遊んだので、親不孝もしてこのままじゃまずいなと思ったので、就活は頑張ろうと思いました。なんとなく働くなら不動産とシステムエンジニア関係の会社かなと思って受けていて、どちらの業界も1社ずつ内定はもらったんですが、4年の2月ぐらいに本当にこれで良いのかなと悩み始めました。
卒業アルバムとかに将来の夢と書く欄があるじゃないですか?本当に自分は何がやりたかったんだろうなと卒業アルバムを見たときに、新幹線の運転士と書いてあり、父親も西武鉄道の運転士だったんですね。鉄道自体に興味はなかったんですが、車やバイクなど乗り物を運転することは好きだったので、それなら受けてみようかとまだ受け付けていたJR東と小田急電鉄と西武鉄道で全て選考は進んでいて、最初に内定をもらえたのが小田急でした。消去法で、一番条件の合う小田急に決めました。そして運転手を目指すというところですね。

横關さん:4年の卒業間近で既に出ていた2つの内定をお断りしたという形で、小田急に進んだということですね。

高橋さん:はい、どちらの人事の方の良い方たちで、不動産の人事の方には「もしダメでも私たちは待っていますので、頑張って下さい」と仰って頂けたので、本気で頑張ってみようと算数の勉強からやり始めました。

横關さん:順序だててやられていたと思うんですよ。私たちが4年のときの9月にリーマンショックがあって、中小企業の内定取り消しが増えていった中で、高橋さんは2社別々の業界に内定をもらっていたということで、高橋さんは企業にとって魅力的で優秀だったんだなと。卒業間近でも内定を取られていますし。

高橋さん:いえいえ、どうなんですかね。私は就活を始めて最初に受けた2社はSPIで落ちたんですよね。これはヤバいとなりまして、そこから基礎的な勉強はしましたね。自分でもよく受かったなと思いましたね。後から聞いたら倍率が40倍ぐらいあったらしいです。自分でもびっくりしました。面接自体は落ちたことはなかったので、とりあえず書く方はなんとかしようと思いました。

高橋さん、平賀さん、横關さん、対談ありがとうございます!素敵なお人柄で、面接に強い高橋さんということで、後半は実際に小田急に入ってからのことをお聞きしていきます。後半は下記からご覧下さい。

加藤さん・平賀さん・横關さんのお三方の対談記事は下記をご覧下さい。