目白大学卒業生対談 人間福祉学科 2008年度卒 平賀祐芽さんと横關昌弘さんと心理カウンセリング学科 2009年度卒 加藤数馬さん 前半

今回は卒業生対談ということで、人間福祉学科2008年卒業の平賀祐芽さんと横關昌弘さんと1年留学なさって、心理カウンセリング学科を2009年度に卒業された加藤数馬さんの同級生同士の対談をお届けいたします。以前行った平賀さんと横關さんの対談の様子は下記からご覧下さい。

同級生同士の対談

加藤さんの目白大学入学のきっかけと加藤さんと横關さんの共通点

加藤数馬さん 平賀祐芽さん 横關昌弘さん ご本人方

横關昌弘さん(以下、横關さん):加藤さんに最初に伺いたいのは、心理カウンセリング学科の卒業ということで伺っているんですけど、15・6年前? もっと前? の話になるんですけど、なんでそういう心理カウンセリングの勉強をしたのかなっていうのを最初に聞こうかなと思って、質問なんですけども、どうでしょうか?

加藤数馬さん(以下、加藤さん):二つあって、ライトの話からすると、高校の時は商業科にいたんですね。パソコンのエクセルとかワードとかの資格を取ったりする…ちょうど、僕らが小学校から中学校になるくらいにIT革命とかがあったじゃないですか。

横關さん:ありましたね。森総理のね。

加藤さん:そのとき…もう高校に上がるっていうときに、普通のこと勉強しててもつまんないから、パソコンのこと勉強した方がいいんかなと思って商業科に入って、商業科でパソコン毎日やってたら、ものじゃなくて人の心の方が面白そうだなって思って、心理カウンセリングを選んだのがライトな要因です。あと、もっと原体験に振り返ってみてみると、僕はあのね…ちょっといきなりヘビーな話になるんですけど、中学校になった時にすごいうつ病になったんですね。で、顔の半分が動かなくなったんですよ。

横關さん:顔面麻痺みたいなあれですか?

加藤さん:そう。で、今も後遺症で…治ってきたんだけど、笑うと顔が引きつっちゃったりするんです。あと、うつ病っていうのが当時あんまり理解されてないっていうか、全く出てこなくて、誰にも分かってもらえなかったっていうつらい時期があって。自分みたいな人を少なくしたいし、根底としては周りの人を笑顔にしたいなって気持ちもあってカウンセリング学科を当時は選択したっていうところですね。

横關さん:ありがとうございます。今のことに対して私が共通点あったのでお話しますけど、私も中学校のとき2年間学校に行ってなかったんですよ。いろいろな葛藤があったりとか、世間の目はこうだけど、本当は学校行きたいんだけど、ずっとモヤモヤしてる自分みたいのもあって。それでその後も、商業高校選ばれたって言ってたんですけど、私は工業高校行ったんですね。それも普通科で学校行ってないと…名前書けば行けるような学校行っても続かないんじゃないかなと思ってて、それで何とか工業高校行って、私は車の勉強してたんで、それで鈴鹿のレースとかやってたんですね。

加藤さん:大好き!

平賀祐芽さん(以下、平賀さん):そうそう。数馬と横ちゃん、その辺、趣味合うんじゃない? 数馬もね、車好きだしね。

横關さん:そうそう。そういうので、自分たちで車で設計して、部品作って、ソーラーカーとかレースを鈴鹿でやってたんですね。そういうことやってて、そこの道もあったんだけども、やっぱり子供の時…中学生の時の色々そういうことがあったところで、児童のキャンプを2週間ぐらいかな、1週間…2週間ずっと山の中に入ってやるとこのインストラクターやってて、その時に障害持った子供達とかいて、この子も色々なものを抱えてんだな。
でも、自然にふれた時の笑顔だったりとか、もうちょっとなんかバックヤードとか分かっていれば、もう少し出来るじゃないかなっていうので、福祉の方に進んだっていう経緯もあったので、ちょっとそこがすごく最初から「共通点あった!」ってなったので、すごく私は今、話をしてて嬉しいです。でも、いいですね。そういうきっかけがあるとね。パソコンって話も出ましたけど、今当たり前の時代ですし、我々の時は一部の人が知ってるぐらいだったので。私も家にいた時にずっとパソコン弄ってて、それが強みになったところもあったので、その辺はすごく最初から「共通点がたくさんあった!」と思って嬉しいです。

平賀さん:そんなかたくなくていいと思うよ。

横關さん:はーい。そこもね、後でまた聞こうかなと思います。次が留学をしてたって話を聞いたんですけど。

加藤さん:はい。

横關さん:それは外国語学部とかは、多分我々のときからあって、その学生さんたちは行ってた記憶があるんだけど、心理の学生さんが留学行ったって、私初めて聞いて、なんかきっかけとか、留学制度が学校にあったんですか?

加藤さん:ないないないない。

横關さん:あ、なかった!?

平賀さん:なかったよね。数馬、自分でいきなり行ったよね。

加藤さん:うん、自分で行った。

横關さん:じゃあ、自分の意思ではっきりとして、そういう形で一年間留学したって感じなんですか?

加藤さん:そうですね。あのときは色々あって、本当に俺は。祐芽は近くで見てたからよくわかると思うんだけど、とにかくいろいろつらかったんだよな。まずは、きっかけは、祐芽さんと出会ったきっかけと一緒なんだけど、ICCっていう留学生をサポートするサークルが目白大学にありまして、本当に入った動機は普通っていうか、「外国人の友達作りてえな」くらいの感じで入ったら、そこでなんかリーダーとかやらしてもらったんだよね。めちゃくちゃだったけど。

平賀さん:そうそう。あのころ、日本語を教えるね、一対一のやつあったからね。

加藤さん:いろいろやってる中で、アメリカのサンフランシスコから来たジェイソンっていうやつに出会って、そいつも車好きだったんですよ。で、僕当時…19歳とかの時はスカイラインに乗ってて。

横關さん:スカイライン? えっと、GTSかなんかですか?

加藤さん:そうそうそう、GTS。

横關さん:GTRはね、なかなか乗れなかったので。

加藤さん:いわゆる32のGTS

横關さん:32のGTSだと一番…色は白ですか、ガンメタですか。

加藤さん:ガンメタですね。

横關さん:ガンメタ! じゃあもうバッチリですね。ガンメタのGTSの…あれ、ナンバーも5ナンバーですし、取り回しもしやすくていい車ですよね。

加藤さん:そうですね。初心者からするとフロントが長くて…らしかったんですけど、まぁ慣れれば。ジェイソンってやつはMR2乗ってたんですね。

横關さん:ああ、ミスター。なるほど。

加藤さん:そんな感じですごい仲良くなって。2人ともウルトラマンがすごい好きってのでも仲良くなって。彼が帰る時に「いつかサンフランシスコおいでよ」「そうだね、行きたいね」みたいな話をしてて、そこから…英語っていうのは全く喋れなかったんですけど…ただあの、家庭の方では親父も変わってて、親父がいきなり仕事辞めて「中国に1年留学に行ってくるわ」っていう話をし始めて。
俺はあまり、親としゃべるの得意じゃなかったから、あまりコミュニケーションとってなかったんですけど、そのタイミングで「実は俺もアメリカっていう国に行っててみたい」「アメリカっていう国があるらしいんだ」って話して、どうにか行かせてくれって言って行かせてもらって。
おもしろいのが、アメリカに行ってサンフランシスコに着いたら、ジェイソンはもうサンフランシスコからアリゾナの方に引っ越していないっていう。

平賀さん:え、いなかったんだっけ? なんか、アロンとはつながってたよね?

加藤さん:あのね、バイトしてた、アロンは。でも、アロン自体、俺はあんまり知らないから。

平賀さん:あれ、そうだっけ? 

加藤さん:そういう感じ。

平賀さん:あれ、アロンと一緒だよって話を聞いてたからさ。あ、でもいるよとは言ったよね、私。数馬が向こうに行くときに、「アロンがちょうど帰国したから、向こうで会えるんじゃない?」とか話した気がする、数馬に。

加藤さん、アメリカ留学でのバンドやパーティボーイ時代

加藤さん:だから、アロンっていう留学生もサンフランシスコ出身なんですけど、彼がサンフランシスコに戻ってて。サンフランシスコって都会なんですけど、街自体が小さいから歩いてたら知り合いに会えるんですよ。で、俺がたまに行くジャパンタウンのスーパーマーケットで彼がバイトしてて。会って久しぶりなんだけど、別にそんなに面識ないっていうか、ちょっとしゃべったくらいだから「おお」くらいでそれは終わっちゃって。ジェイソンは引っ越してて、でもアメリカ来たよってFacebookかなんかで連絡したら「会おう」ってなって、サンフランシスコまで来てくれて、会って遊んだのが1・2回かな。だから、基本最初は一人ぼっちだった。
アメリカにいるときは、英語をせっかく来たからマスターしたいなと思って、日本人の友達をなるべく作らないようにして、できたとしても英語でしかコミュニケーションとらないし、学校が…「英語学校」っていって多国籍でいろんな人が英語を勉強しに来てる学校があるんですよ。その中でも日本人が少ない学校を選んで行って、そこに寮とかがあるんですけど、寮に入って日本人同士でかたまってるのがすごい嫌だから。
不動産屋さんとかってアメリカってないんですよね。自分で「For Rent」って書いてあるところに電話して、「貸してください」みたいな感じで部屋を探して、最初の3ヶ月はホームステイ、その月の3ヶ月で海沿いに住んで、その後の半年は韓国人の友達ができてその人たちと一緒にダウンタウン…都会の真ん中に住んでっていう暮らしをしてました。

横關さん:すごい、すごいね、もう…

加藤さん:で、引っ越しの間とかに家が見つからなくて、追い出されなくちゃいけなくて、2日間くらいホームレスしたりとか。

平賀さん:え、それ初めて聞いた。

横關さん:すごいなあ…。

加藤さん:本当にアメリカいて、ゲームするわけでもないし、友達と会えない時って暇だから、「ギター弾ける人カッコいいな」って思ったからギターを買って、練習して、少し弾けるようになったから、駅前とかで弾いてたんですよ。アメリカってすぐ友達ができるんで、知らない人と会話するのが当たり前なんですけど、俺、長渕剛を弾いてたんですよ。そしたら、長渕剛の歌ってすごいなって思うのは、日本語でずっと歌ってるのに、アメリカの友達がすごいできて、チップとかもらえるようなったりして、バンドを組んで、色んな所に歌いながら回るようなことを、趣味で向こうでやってました。

横關さん:すごいですね!祐芽ちゃんから少し聞いてて、私がイメージしたのって、限られた期間の中で限られたカリキュラムでホストファミリーさんとのコミュニケーションをとりながら、充実した一年間を送ってましたよって話をすごい期待してたたんですけど、話がぶっ飛びすぎてて。

平賀さん:ごめんね。そこ補足すればよかったね。全然大学とか関係なく行ったんだもんね、数馬ね。

加藤さん:まったく関係ない。

横關さん:すごいのは、いろいろ聞きたいんですけど、お金とかってどうしたんですか? 貯めて行ったんですか?

加藤さん:お金は両親に出してもらいました。

横關さん:そういうことなんですね。でもすごいですね。初めて知ったことが色々あるんですけど、不動産屋さんがないかなんかって…だいたい仲介…エージェントって絶対いるじゃないですか。そういう人がいない中で、今ほど翻訳アプリとかない時代…で、Google マップとかも出てきたか出てこないかくらいの…

加藤さん:使ってなかった。スマホじゃなかったですもん。

横關さん:そう。スマホじゃなくて、何をやるにしても、ネット回線でWi-Fiとかもなかったし、有線のパソコン繋ぎながら調べて、それをプリントアウトしてどっかに行くみたいな。そういうツールの使い方だったのは、そこまですげーなと思ったのが本当の印象で。そこで多分色々感じ取った部分とかってあると思うんで。孤独が一番あったと思うんですよね。でも、そうでもないんですか?

加藤さん:俺も孤独になるかなと思って、今まで寂しいって感じたことなかったんですけど、別に。でも逆に向こうに行った時の方が、自分が自分でいれる感覚っていうのがすごいあったんですよね。これ大学同窓会のインタビューなんで、本当に言えないことの方がいっぱい多いんですよ。

横關さん:まぁ、でしょうね。

加藤さん:言えそうなところのラインで言うと、ダウンタウンの我々が言うマンション、向こうではアパートなんですけど、タワーマンションみたいな所って、地下か屋上にパーティー会場があるんですね。そういう場所でだいたい毎日どっか行けばパーティーやってるんですよ。僕、今、華道とかやって落ち着いてる印象なんですけど、祐芽とかの印象だと激しいイメージがあると思うんだけど、パーティーボーイだったんですね。

横關さん:パーティーボーイ、なるほど。

加藤さん:別に俺、オーガナイズとかしてるわけじゃないんですけど、すごい人気が出ちゃって。「どこどこに行けばカズマに会える」「日本人のカズマってやつがおもしろい」みたいな感じで。いろいろ騒いでたら、ある時からマンションの入口の所に白黒の顔写真を張り紙されて、「こいつは絶対に入らせない」みたいな。

横關さん:出禁になっちゃったんですね。

加藤さん:そう、いやもう、「出禁だから」みたいな感じで。で、ダウンタウンの中で5軒くらいそうなっちゃって、大きくやってるところの。それで入れなくなったりだとかね。サンフランシスコって街の特徴としては、日本と真逆と言っていいのかな、自分の個性がないと人して認められないみたいな。自分のアイデンティティをどれだけ表現できるかみたいな。どれだけ喋れるかとか、どんなバックグラウンドがあるのかとか、何が好きなのかっていうのを、どんどん伝えていかない限り、友達が作れないみたいな感じの街だったんで。逆に僕、それまで日本にいる時ってけっこう抑圧されてた部分が大きかったんですね。「こういうこと言ったら人を傷つけちゃうんじゃないか」とか、「あんまり好き放題やったら迷惑かけちゃうんじゃないか」とか。まぁ、振り回してたけど、祐芽とか。本当は。

平賀さん:自覚あったんだ(笑)

加藤さん:あったから、キューってなってたんですけど、そこに行って「あぁ、良いんだ良いんだ」みたいで広がっていって。だから、あんまり孤独感は感じなかったですね。ホームシックにもならなかった。

加藤さんが就職した先が花屋、そして華道家になったきっかけ

華道家 加藤唯華の顔をもつ加藤さん

横關さん:なるほど。どこから話を膨らませていいかわからないけど、今、いろいろお仕事されてて、この時の1年間の経験がいきてるなって感じることってあります?

加藤さん:いっぱいありますけど、日本に帰ってきてすぐは全然そういう感覚はなくて、「行って楽しかったな。また行きたいな」くらいの感じだったんですけど、その後、僕、花屋に就職して。

横關さん:あ、就職は花屋さんだったんですね。

加藤さん:そうですね。就活もね、やったんですけど、僕、就活合ってなかったっていうか、今考えればもっと自己分析とかして、いろんな素晴らしい会社探して行けば良かったんだけど、いろいろ最初に回ったところが、例えば大手町とかすごい高いビルに入って、スーツ着て、みんな「はい、御社を選んだ理由は何とかがありまして」「よろしくお願いします」みたいなのやるじゃないですか、みんな。それが当たり前じゃないですか。俺、それがすごい気持ち悪くなっちゃったんですよ。こんな嘘ばっかり並べて入れる方も入れる方だし、「さすがにそんなこと思ってないでしょ」と思うし、「御社の価値貢献のために、何とかしたいです。私の強みは何とかで」とか。「ホントにそれ強みなの? 強みわかんないし」みたいな感じで。だったら、俺大学の時からずっと花屋でバイトしてたんで。自然とかキャンプとかすごい小さいときから大好きなんで、「それでいいか」と思って。
バイトしてたのから就職して、就職するタイミングで話がすっごいゴチャゴチャして前後しちゃうんですけど、そこのお花屋さん自体が、生け花の先生にお花を届ける専門のお花屋さんだったんですよ。それまでは適当に「生け花? ふーん」みたいな感じでいたんですけど、アメリカ行ったことで日本人らしさって、俺ないんだなと思って。俺は「道物」をやりたいなと思ったんですよ。華道とか書道とか空手道とかあるじゃないですか。僕は空手は怖いからヤダなと思って。でも、「華道、ちょうど近くでやってるじゃん」って思ってお花を始めたら、すごい楽しくて。人生で褒められることって、成人してからってあんまりないじゃないですか。

横關さん:なかなかないですね。

加藤さん:お花は唯一褒めてくれる人がいて。華道を始めたら、20代のうちに看板を取るのって難しいんですよね。30年とかやってないと取れないって感じだったんですけど、始めて10年以内くらいでそういうのいただいて。当時母親…今はいないんですけど、当時は生きてて、「看板取ったよ」って話をしたらめちゃくちゃ喜んでくれて。なんでそんな嬉しいんだろうなと思ったら、実は俺のばあちゃん・ひいおばあちゃんが華道の先生だったんだよみたいな。

横關さん:へぇ。じゃあ、そういうルーツがあったんですね、やっぱね。

加藤さん:まったく何にも知らなかったんですけど。華道をやり始めた時に、改めて英語っていう能力があって、その素晴らしさを日本人の人に日本の伝統文化を伝えるのって実は一番難しくて。みんな知ってるっていう固定概念があるから、本質の部分まで見えてこれない部分なんですけど、海外の人から見ると第三者的な視点で見れるから、日本の文化っていうものを。だから逆に、本質的な部分を見てたりするんですね。ただ、それを英語で喋って伝えられる人ってあんまりいないんですよ。いるけど、少ない。だから、そういうことをやってたら楽しいんじゃないかと思って、お花を英語で伝えるっていう事をし始めることができたので、留学って…一つ、英語っていうツールはそれで。

横關さん:確かに、そうでしょうね。

加藤さん:あとは、留学って英語を勉強するだけじゃなくて文化を学べるんで。欧米人の雰囲気とか性格っていうのかな、約束の仕方とかを学べたので、そういう意味ではいろいろ交渉に使える部分は多いかなって。逆に言うと緩くなっちゃったんで、自分はすごく。今は日本の厳しさについていけないなって。

平賀さん:でも、いい意味で丸くなったよね、数馬は。留学から帰ってきてから。

加藤さん:ありがと。

平賀さん:変にピリピリしてたじゃん、行く前は。

加藤さん:ピリピリしてた?

横關さん:今の話って、次に聴きたいなと思ったことを色々教えてもらったんですけど、生け花の世界って、一部の人しか知らない格式がすごい高いとこだったんで、どこにそうやってアクセスしたのかなっていうのが、すごい私は気になったんですよ。華道家の友達がいるって祐芽ちゃんから言われた時に。あ、なるほどなと。

平賀さん:華道家になると思わなかったもん。

加藤さん:僕も思ってないよ。

横關さん:すごいなっていうところで、お着物着て、格式あるような本当に一部の人って感じのものに入っていく所っていうのは、すごく努力をされたからだと思うんですけど。でも、それはすごく褒められたからとか、達成感があったからこそ続けられたのかなと思うんですよね。

加藤さん:そうですね。

横關さん:そういう部分から、スーツ着てオフィスで勤められるってイメージが湧かなかったっていうのは、自分の強みが学生時代からあったからこそ、そういう道を選択したのかなっていう感じなんですけど。でも、基本的に華道家の方って、どういう形の…今、お花屋さんの経営とかされてるんですか?

加藤さん:妻が花屋をやってて。

横關さん:そうなんですね。

加藤さん:俺はそこで利用しているくらいな感じなんです。手伝ったりもしますけどね。花屋歴長いんで。

横關さん:どういう感じのお仕事…華道家の方のお仕事内容って、私全然知らないんですけど。どういう感じでやってんのかなっていうことと、コロナでお花の需要が減っちゃったってニュースで見たんですよ。っていうところもあったので、そういう大変さだったりとか、今やってる仕事とかをちょっと教えてもらえたら。

加藤さん:そうですね。仕事内容から話しますか、そしたら。画面共有とかしても大丈夫ですか?

横關さん:大丈夫です。

平賀さん:え、それは何、Iさん(目白大学卒業生の方です)との仕事のほう?

加藤さん:そうだね、商談とか。インスタになっちゃうんだけど、一番わかりやすいのが。これ恥ずかしいんだよな。

平賀さんは横關さんと加藤さん、お二人とご友人で横關さんと加藤さんは初めましてですが、同じ時代を生きている感じがしますよね。後半の記事でもお三方の魅力をぜひ下記からご覧下さい。