韓国語学科 2015年度卒 溝口紗萌さんインタビュー

卒業生インタビューとして、今回は2015年度に韓国学科卒業の溝口さんのインタビュー記事をお伝えいたします。

インタビューの前半では溝口さんに、目白大学入学のきっかけや在学中のやお話をお伺いしていきます。

韓国好きから数年で韓国語を滑らかに話せるように

入学のきっかけはK-POPや韓国ドラマを字幕で見たいというきっかけから

溝口さんご本人

インタビュアー(以下イ):目白大学の入学のきっかけについて、お聞きしていきたいのですが。

溝口紗萌さん(以下溝口さん):中学生ぐらいのときから、K-POPや韓国ドラマが大好きで、最初は軽い気持ちでドラマを字幕無しで見られるようになったら格好良いなというところから始まって、韓国語を本格的に勉強したいと思いました。

全国でアジア言語学科はあっても、韓国語学科は日本で数えるほどしかありませんでした。目白大学は2年生のときに、ほぼ強制的に留学出来るんですよ。大学で学ぶからには留学には絶対行きたいと思ってて交換留学の制度が充実していたので、第一希望で希望して合格して入学しました。

1年生のときは学校帰りに新大久保のカフェに行ったりですとか、学科のみんなでご飯に行ったりしてましたね。通いながら、穴場のところを探すのが楽しかったですね。裏の少し穴場的なお店が美味しくて重宝してましたね。

イ:特に目白大学が決め手になったことってはなにかあったんですか?

溝口さん:ほかの学校ってどうしても成績順で優秀な人が留学に行ける制度があると思うんですが、目白では2年時に希望者は全員留学に行ける制度があるので、それが一つと希望をすれば2年間留学に行ける。
大学4年間のうち、2年間韓国の大学に行けて、韓国の大学で単位をちゃんと取れれば、4年間で2つの大学の卒業の資格をもらえるんですよ。それが魅力的でした。2年間、留学に行ってました。目白の新宿キャンパスは1年生と4年生の2年間だけでした。

イ:1年生と4年生だとちょうど忙しいときですよね?

溝口さん:そうですね、1年生と4年生のときはバタバタで、4年生のときは見なさんゼミで週1いらっしゃる時間割だと思うんですけど、私は週4で学校に通っていました。

イ:溝口さんは、ゼミにも入られていたんですか?

溝口さん:そうですね、3年生ときは留学していたので遠隔でゼミの課題やったりしていて、4年生のときは皆さんと一緒にゼミを受けていました。

イ:溝口さんは、2年時から留学されたとお聞きしました。1年時はお忙しい状況だったのでしょうか?

溝口さん:2つの大学の単位を取るとなると、1年生と4年生のときに目白で学科以外の必須科目を取らないといけないので、詰め込みで1年生は忙しかったです。1年生は忙しい状況でしたが、上京して来たので、大学生らしい生活も送りたいということでしたので、サークルも入って、バイトしてという生活でした。毎日、何も無い日はなかったかもしれないですね。高校がテニス部だったので、サークルはテニスサークルに入ってました。バイトはカフェと夏休みとか繁忙期のときは、大手の運送会社で配達してました。

韓国に行ったら午後はフリーに!?フリーからコミュニティの歴史を作る

イ:1年生の時は目まぐるしい感じの生活なさっていたということで、2年生のとき留学のときのことをお伺いしてもよろしいでしょうか?

溝口さん:韓国は3月が年度の始まりなので、1年生の後期が終わって1ヶ月で準備して2月には韓国に行って3月からに備えました。

留学生活の最初のときは暇でした。最初は語学の授業で色々な国の学生が韓国語の基礎を学ぶ、専門の先生がいる韓国語の塾みたいな感じで授業を受けていました。前半はそんな感じの授業しか無かったので、午前中の2、3コマの13時ぐらいに授業が終わるんですよ。お昼を食べて、後は自由に過ごせる時間でした。一緒の学科で留学に行った子が4人いたので、4人で学校を探検したりや近所を徘徊したりしてました。それでも時間がけっこう余ってしまって、何しに韓国に来たんだろうという感じになってしまいました。

せっかく韓国に来たのに、日本人ばかりで固まっていたんじゃ意味ないなと少し焦り始めた辺りで、韓国の大学の日本語学科にいる韓国人の学生さんたちと話す機会を設けてもらったりとか、自発的に動いて交流を深めていったのはありましたね。

イ:せっかく時間があるのはもったいないですものね。

溝口さん:そう、今考えるともったいないことをしていたなと(笑) 当時、韓国に行ったばかりで知り合いもいないし、私が留学先で行った大学が目白大学と提携校になったばかりのときで、ほかの学校だったら先輩がいらっしゃったり、ほかの学校の日本人の先輩がいらっしゃったりがあると思うんですが、ソウルでは無い地方の大学だったので、日本人すら多くない状態でした。その中で自分たちで試行錯誤しながら友達を作っていった形なのですが、今は後輩たちに徐々に引き継がれていった形なので、それは良かったなと思います。

イ:溝口さんたちが先駆者として、歴史を残して後輩さんたちに受け継がれていったんですね(笑)

溝口さん:先駆者(笑)そうですね(笑)

イ:学校側もどうしたら良いのか分からないという戸惑いがあったかもしれないですね。

溝口さん:多分、そうだと思います。中国人の留学生は多く中国人のコミュニティはすでに出来ていたので。日本人の留学生は少なかったので、どうサポートして良いのか、国際交流の担当の方も分からなかったんだと思いますね。留学して最初のクラスも中国人8人、日本人1人、あとはフランス人1人という感じでした。

イ:20歳でその状況はなかなか厳しいですね。では、溝口さんたちが交流会を始めてから徐々に皆さんと打ち解け始めた感じですか?

溝口さん:そうですね、日本語学科の学生も日本人と話したいというのもあったと思うので、交流会で初めて日本人の学生がいるんだと知ったみたいで、そこからは友達が出来て飲みに行こうよなど、誘ってもらったり、授業の空き時間にカフェでおしゃべりしたりしてました。そこからかは分からないのですが、だんだん学校内で日本人留学生がいるぞという噂が広がっていき、ほかの学科からいきなり日本人と交流したい人がいるとなって、色々な学科からお声がかかったりして広がっていったので面白かったです。

イ:みんな興味はあったんでしょうね(笑)

溝口さん:多分、そうだと思います(笑) ちょっと地方の学校だったので珍しかったんだと思うので、話したいみたいなことがあったんだと思います。

3年生時にはテジョンでの生活に慣れ、旅行や会話も慣れる

イ:3年生時には溝口さんの中で留学先に慣れてきたという感じでしょうか?

溝口さん:そうですね、もう生活も慣れて、自分一人で行動することも慣れましたし、2年生の後半からは韓国人の学生と同じ講義を受けていました。韓国の大学はグループ課題が多く、話し合いを多くやっていました。韓国でも交流を広げたいということで、テニスのサークルに入って先輩たちがみんな優しくて面倒見が良かったので、暇なときは部室に行ってみんなでおしゃべりしてました。親切にして頂いたのは本当にありがたいですね。

また、留学先が韓国の地図でいうと、中心の場所にあるテジョンというところで、交通の便が良いので、ソウルやプサンも行けますし、3年生のときは韓国国内で旅行をしていました。

イ:2年生時ぐらいから、溝口さんは韓国語はスラスラお話し出来る感じだったんですか?

溝口さん:最初の一年はたどたどしい感じでした。なんとか聞き取れる感じで、自分の意思はなんとか伝えられるかなという感じでしたね。授業は全て韓国語で、専門的な部分もあるので難しかったですね。滑らかに話せるようになったのは、3年生のときですね。

溝口さんのインタビューは後半に続きます。後半では、溝口さんが韓国に行ったことで、驚いたことや日本にいたら体験出来なかったこと、在学生の方にぜひ真似して頂きたい、就活時の行動をお話し頂きましたので、下記からお楽しみください。